僕たちは多くの場面で人生の選択に迫られることがあります。就職しようか進学しようか、転職しようか独立しようか、結婚しようか離婚しようかなど、様々な場面で選択に迫られます。結論から言ってこの選択に正解はないと思っています。しかし選択する時の指針として何かを持っておきたい人のために決断の仕方を解説していきます。


最初に言っておくとこの選択の仕方、決断の仕方を知ったとしても人生に迷わなくなると言うことはありません。ゲームであればリセットボタンを押すだけで元に戻せますが人生はそうはいきませんよね。そしてどの決断をしたとしても正解というものはないのです。




人生の選択に迫られている・迷っている






冒頭にあげたように人生では様々な選択に迫られます。どれを選んでも正解というものを見つけることはできません。こればかりは自分の解釈によります。解釈によって選択を後から「いいものだった」というように変えることはできますが基本的に結果は変わりません。




大きな決断から軽いものまで人生は選択の連続です。例えば昼ごはんに何を食べるのか、上司に仕事の相談をするのか、今日飲みにいくのかなど、どれも重大ではないものの選択であることに変わりはありません。また、軽い選択でも後々に大きな結果になって帰ってくることもあるため「今大きい決断なのかどうなのか」というのは関係なく人生に影響してきます。




バタフライエフェクト(蝶の羽ばたきが地球の裏側では台風を起こすような大きな影響を与える)という考え方もあるように小さな決断も大きな影響を後々に与えてくることは少なくありません。「あの時車に乗っていれば事故に遭っていた」のように小さな選択でさえも命に関わることもあります。




しかしそれが嫌でも必ず選択の場面は現れます。なのである程度決断する時には指針が欲しくなりますよね。まず解釈の問題は後に置いておいて決断に迫られた時にどう決めていくのかを解説していきます。




これはあくまでも「こういう考え方もあるよ」という程度に捉えておいてください。決して正解をお伝えするものではありません。




プロスペクト理論






人間は合理的な判断ができないという考え方があります。これはダニエル・カーネマンが提唱したプロスペクト理論であげられている考え方で、これを実証するための実験を行いました。




この実験はAとBのボタンがあることを仮定とした実験で、Aのボタンを押すと4000ドルを80%の確率でもらえる、Bのボタンを押すと3000ドルを100%もらえるというものです。あなたならどちらを押すでしょうか?




もちろん正解はないのですがほとんどの人がBのボタンを押すと思います。100%3000ドル(日本円で30万円以上)をもらえるというのですから。しかしこれを期待値という観点で見てみるとAは4000*80%=3200ドルなのに対しBは3000ドル。



つまりはAのボタンの方が合理的に大きな利益を受け取れるという計算になります。これは期待値の計算なので現実的にはほとんどの人がBを選ぶのも頷けますが・・・。




では逆にAのボタンは80%の確率で4000ドルの損失、Bのボタンは100%の確率で3000ドルの損失となった場合はどうでしょう。




こちらの場合はほとんどの人がAのボタンを押したそうです。しかしこれも期待値という観点で見てみるとAの損失は3200ドル、Bは3000ドル。つまりはBのボタンの方が損失が小さいことになります。




しかしほとんどの人がAのボタンを押したことからダニエル・カーネマンは人は合理的な判断ができないとしたんですね。人は利益を得るときは確実性を、損失を避けるためにギャンブルにでるということを実証したということです。



これは期待値という特殊な観点から見たものなので何と無くモヤっとするかもしれませんが、人生の選択においてもこのような場面があると思います。確実にうまくいくであろうことの方を優先することで安心したいですし、失敗する可能性があるけどうまくいけば失敗しないかもという期待からギャンブル性の高いことに挑戦してみたり・・・。




どちらがいいという話でもありませんが要は人生の選択の時に直感のみで判断してしまうことは危険です。よくよく考えてみると損をしているかもしれません。なのでこのプロスペクト理論から言えることは直感のみではなく理性でものを考えることによって人生の選択をよく考えた方がいいかもれないということです。




まとめ




・人生の選択は直感で選ぶと合理的ではない判断になることもある


・直感だけでなく理性でものを考えて判断すべし




今回はこの2つのことを意識してみることをお伝えしました。人間の直感には多少傾向があることがわかりましたね。プロスペクト理論はあくまでも傾向であって全ての人が同じ判断をするわけでもないですし、実験通り非合理的な判断をしたとしてもそれが不正解だという話でもありません。




そもそも正解がないことを頭に入れた上で判断に迷ったら悩むでしょうけれど思いっきり悩んで考えることもまた1つの手になるということですね。




それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。