コンプレックスには劣等コンプレックスと優越コンプレックスというものがあります。これらの違いとコンプレックスはなぜ生じるのかについてまとめていきます。




コンプレックスは「である」から始まる




劣等コンプレックスとは、おそらく皆さんが思い浮かべるコンプレックスです。例えば(私は◯◯が劣っている。とか、立場が下だ。とか)




逆に、優越コンプレックスもまた問題です。例えば(オレは◯◯の会社に務めているからこいつより上だ)




という考え方ですね。ではこのようなコンプレックスを無くしていくためには何が必要なのか。




日本では昔、階級社会というものが普通でした。例えば・・・




侍「である」=ステイタス上、優越


百姓「である」=ステイタス上、劣等




このように、◯◯「である」ことがステイタス上優越コンプレックスだったり、劣等コンプレックスを抱いていたんですね。これが現代でも同じように作用している場合がありますね。美人だから立場が上と考える人もいれば、務めている会社が大手だから立場が上と考える人もいるということです。




まいつまいつ

吾輩は猫である、って優越コンプレックスってことになるね






劣等コンプレックスに関してもまた、「髪の毛が天パなのがコンプレックス」とか、そういう考え方のことを言うんですね。




コンプレックスと関係のない生き方




上記にもある通り、コンプレックスの始まりは「である」です。




では考え方としてコンプレックスと関係なく生きるためにはどうすれば良いのか、それは◯◯「する」という考え方。




◯◯という大手の会社務め「である」ことを誇るのではなく、◯◯の会社で◯◯の仕事を「する」ことに誇りを持ってみる。




見た目のコンプレックスならば「天パであるから、劣等」ではなく「天パだけど◯◯の専門技術で仕事を「する」自分に変えていくということですね。




どんな自分であってもなにを「する」人間かが重要であり、◯◯「である」人間でいる必要はないんです。




この考え方ならば少しはコンプレックスに関しても楽に考えられるかな?




まとめ




◯◯「である」ことを重視する人は若い人であればどんどん減っていっている印象があります。自分の周りがそうなだけかもしれないけど・・・。




コンプレックスって無いほうがやっぱり楽だし、どんな見た目や仕事をしているのかよりも何を「する」自分でありたいかのほうが有益だし、きっといい仕事もできると思いますよ!




ということで考え方から、コンプレックスとの付き合い方まで、少し考え方を変えていってみてはいかがでしょうか。これで少しでも楽に考えられたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。